立教25周年をことほぐ例大祭も盛大に挙行され、新道場竣工も間近に控える中、私はこの機に自身の過去を振り返るべく、5月末から1週間ほどハワイへと出向きました。
思えば今から四十数年ほど前、ご教主と私の師である故岸田英山先生から、ハワイに教会を立ち上げ新道場を建設するということで、その教会師としての任を拝命しました。当時の私は20代前半、醍醐の伝法学院を出たばかり、まさに右も左も分からないまま、ただ師の命を受け単身、ハワイへと赴いたことを今でも鮮明に覚えています。
私がハワイに着任して、しばらくして英山先生がお亡くなりになり、私も任を終え同地を離れました。以来、ハワイには行っても教会を訪ねることはなく、約40年ぶりに訪れた彼の地は、広い敷地に厳かなたたずまい、その中には神仏がしっかりと祀られておりました。
ハワイは私と妻との出会いの地でもあり、今回の旅はパンデミックで実現できなかった結婚40周年の祝いも兼ねていたので、皆で当時の思い出話に花を咲かせる中で、様々なことが鮮明に思い出されてきました。
当時、教会の隣にタコ取りの名人、通称「タコおじさん」とよばれていた方がいらっしゃいました。もちろん今は亡くなられていますが、実はその方は先の大戦でアメリカ陸軍第四四二連隊、いわゆる「日系人部隊」に所属していました。ちなみに同部隊4500人のうち3分の2がハワイ在住の日系人であったことも、知っておきたい事実です。
それで思い出したのが、私がよく会員の皆さまにお伝えしております道祖と松田美好(みよし)さんとの逸話。日系人としてアメリカに在住しながらみ教えを学んでいた松田さんは、日本に滞在した折、道祖に次のような質問を投げかけました。
「米国と日本が戦争になった場合、私はあくまで日本人として行動すべきでしょうか。それとも米国人として祖国に弓を引くべきなのでしょうか」
すると道祖は静かな口調で、
「米国人として、日本に弓を引くべきだ」と答えられたのです。
日本とアメリカは、その翌年、実際に戦争となりました。そのことを予見していた道祖は、何よりここで「御恩」ということをお伝えになられたのです。その地で生み育てられたのであれば、その地に対する御恩を返すべきである。もちろん戦争そのものは論外であり、決して人類が犯してはならない過ちではありますが、それが避けられない以上、道祖は「そのような非常事態においてこそ、人としての道を悟る機会とせよ」と明確におっしゃられたのだと拝察致します。
その逸話を思い出し、私が口にしたところ、実はその「タコおじさん」も生前、松田さんと深いご縁のあった方だということがわかり、さらに驚きの念を禁じ得ませんでした。
そしてもう1つ、これはハワイの例ではありませんが、モンゴル出身の第六十九代横綱・白鳳(現宮城野親方)のお母様の逸話が思い起こされました。
彼がモンゴルを出て単身、日本の相撲界に入るべく来日する際、白鳳のお母様はこのような言葉で諭されたそうです。
「もし日本で1年住んだら、そこがお前の故里になるのだから、日本のために恩返しをする生き方をしなさい」――
やはりあれだけの大横綱になった方の親御様の言うことは違うと、常々心の中に響いていた逸話ですが、あらためてハワイの地に立ち、「国土」ということに思いを馳せた時、私の胸に去来するものがあったのです。
大自然(だいしぜん)に於(おい)ては日月星辰(じつげつせいしん)の運行(うんこう)から山河風水(さんがふうすい)の静動(せいどう)、一木一草(いちぼくいっそう)の生成(せいせい)の中(なか)に必(かなら)ずや荘厳善美(そうごんぜんび)なる神性(しんせい)と完璧偉大(かんぺきいだい)なる神意(しんい)とを発見(はっけん)し得(う)るであろう。自然(しぜん)は特(とく)に人(ひと)をして俗念(ぞくねん)を離(はな)れ直(ただ)ちに神(かみ)の世界(せかい)に陶酔(とうすい)せしめるものである。神社(じんじゃ)は人為(じんい)の営造(えいぞう)にかかるものであるが、本来(ほんらい)神霊(しんれい)の鎮(しず)まります所(ところ)なると、清浄(せいじょう)なる神域(しんいき)の風物(ふうぶつ)之(これ)に参(さん)ずる人(ひと)の心(こころ)の誠(まこと)と相俟(あいま)って必然(ひつぜん)に神(かみ)を拝(はい)さしむるものである。
書(しょ)をひもとけば古今(ここん)の史実(しじつ)の上(うえ)に、或(あるい)は聖賢(せいけん)の教(おしえ)の中(なか)に又広(またひろ)く人(ひと)の心(こころ)の誠(まこと)の陳述(ちんじゅつ)に神(かみ)を察知(さっち)せしめられるのが幾多(いくた)ある。
之(これ)を卑近(ひきん)なる所(ところ)に求(もと)めんとしたならば、日々(にちにち)の新聞記事(しんぶんきじ)の中(なか)にも此(こ)の種(しゅ)のものは少(すく)なくない。純真無垢(じゅんしんむく)なる幼児(ようじ)が神(かみ)の如(ごと)しといわれるのは虚偽(きょぎ)と穢(けが)れの無(な)き為(ため)である。
尋(たず)ね来(き)たれば混濁(こんだく)せる社会人事(しゃかいじんじ)の中(なか)にも路傍身辺(ろぼうしんぺん)にも神(かみ)は到(いた)る所(ところ)に存在(そんざい)する。
神(かみ)の統率(とうそつ)し経綸(けいりん)し給(たま)う全宇宙(ぜんうちゅう)に神(かみ)の遍満(へんまん)せざる理由(りゆう)はないのである。
先月に引き続き、道祖の『真行』「神を尋ねて」の後半部分にあたります。
道祖のおっしゃるように「神は到る所に存在」します。が、中でも「神霊の鎮まります」土地というのは、私どもにとってリアルに神仏の存在を察知せしめるものとして、古来より人々が大切に扱ってきたものです。
「伊勢神宮」「出雲大社」など、有名な神社は数多くありますが、ではその祭神は… … と聞かれ、即答できる人たちは思いのほか少ないのではないでしょうか。神の鎮まります神域に出向き、手を合わせる刹那、その神社に祀られているご祭神の神名を思うより、ただ「神様」と念ずるその思い。それは日本人が古くから人為の建造物というよりも、その土地そのものに神性を感得していた名残です。
そもそも陰陽五行の世界では、木火土金水のうち「土」を中心と見ます。大地がないと木も火も金も水もない。中心はあくまでも土であり、この地球においてはこの大地が軸となり大自然界の運行がなされているのです。
そして道祖は三綱五常報恩の中で、国土のみ「大御恩」と記されています。
すべては土から生まれ、土へと帰ります。その地に神仏の存在を感得し、産まれ育った地、そしてこれまで育んでいただいた土地への感謝報恩が、人の生きる道として最も大切で基本的なものであると、道祖はおっしゃられているのです。
一方、今の世界で起きている戦争、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、すべては国土の奪い合いから端を発しています。そこには国土への「御恩」という発想はなく、すべてが欲望、自我充実のせめぎ合いです。
私がこのところ常に会員の皆さまに申し上げております、「損得ではなく恩徳の生き方」この感性が希薄になっている今の日本人が、再度「国土の大御恩」という人としての根本を取り戻し、世の中にしっかりと伝え続ける必要があるのです。
そこで、特にここから会として力を入れたいのが、各自が住む土地の祓い供養です。幸いにもここ数年で醍醐三宝院における恵印伝法灌頂(えいんでんぽうかんじょう)を終え、様々な法を身につけられた方が輩出しております。その方たちには、私どもが常に土地関係としておさめております御霊―― 土地関係無縁萬霊、土地関係敵味方生色幼変無縁之霊の祓い清め、そしてご供養を執行するお役目がありますので、是非それを様々な場面で活かしてもらう道を開いていく所存です。
7月に入り、本年も後半となりました。
「新生かむながらのみち人類和合の祈りを深め、誇りと熱意で未来を拓く」
会員各位が、このテーマにどれだけ沿い、日々生きておられるか。今一度、それぞれの胸に問うてください。
そして来月末には新道場も完成、秋の記念式典に向けていよいよ秒読み段階となって参りました。会が新たな産声をあげる時、それは私どももさらなる飛躍を遂げる時でもあります。おたがい様に、歓喜大躍進で日々、菩薩行に精進して参りましょう。