本日10月14日、「かむながらのみち立教二十周年」を寿(ことほ)ぐ記念祝賀会が、ここ横浜ベイホテル東急におきまして、多数のご来賓の皆様においでいただき、また全国会員代表の皆様と共に、かくも盛大に執り行なわせていただきますことに、深い感謝と歓びの念を申し上げます。
思えば亡き北川和光会長と共に、この「かむながらのみち」を横浜磯子岡村の地に設立した際も、希望と感謝に満ちた思いで一杯でした。あれから二十年、多くの心ある方々に支えられ、今日この日を迎えられましたことは、ただただ「感謝」という言葉以外にありません。
道祖解脱金剛尊者のみ教えの真髄は、まさにこの「感謝」、そして「報恩」でございました。
宗教の本質は感謝報恩そのものである。
報恩感謝が人の道。
小学校五年生の時から、この道を歩んでいこうと心に決め、師と呼べる多くの先生方からご指導をいただきながら、人心救済、世相善導に力を尽くしてまいりました。
もちろんその道は、決して平坦とは言えず、むしろ厳しい試練の道でございました。
それでも、ただひたすらにここまで歩み通すことができましたのは、人様がお幸せになる姿が、私の歓びそのものだったからに他なりません。そのためには、いくら疲れていようと、生活でままならないことがあろうと、不思議と力が湧いてまいりました。
思えば、それが私の「報恩」行でした。
人様の人生に関わる以上、すべてが正しく、またすべてが理想通りにいくはずもありません。時には背を向かれ、時にはあらぬ思いを受けることもままありましたが、日々の祈りが私の支えでした。神仏、そして道祖のみ教えという絶対的なものがあることが、人が生きる上でどれほど大切なことか、何より体験として実感していたのは私自身でした。
本当の「感謝」というものは、もしかしたら、人生でどうしようもないほどの困難にめぐりあった時、苦しみや悲しみのまっただ中にいる時、初めて生じるものなのかもしれません。
喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、そのすべてが共にあるのが人生であるとしたら、私のさせていただいたことは、常に目の前の方のために全身全霊をもって寄り添うということだけでした。
そのためには、どのようなことがあっても信念を曲げず、心身共に全力を尽くすことが、私の誇りであり、歓びでした。そのような私の想いに心を寄せてくださる人が、1人増え、2人増え、そして気付いたら、私の周りには多くの方が同じ道を歩もうと、前を向いてくださっていたのです。
そうして、できたのが、この「かむながらのみち」でした。
先日、浅野信先生のリーディングを通して、これからの私自身の生き方、会の方向性などについて、神様のお言葉を頂戴する機会がございました。
二十年前、解脱会から離れ、この「かむながらのみち」を起こすことを決意した時、浅野先生のリーディングはその重要な示唆を与えてくださいました。今回のリーディングは、まさにその時のお言葉に匹敵するくらい、神様の深いご意思が感じられるものでしたので、少し長くなりますが一部を引用し、皆様と共に真摯に受け止めていきたいと存じます。
創立者のあなたは、ゼロから起こしました。夫である会長先生と共に。それには気迫とかチャレンジ精神、そして何より人々を思う優しい気持ちがありました。そうであったからこそ人々も動き、集まり、助けて下さりました。そういうところに神様は関わり、助け、導いてくださるからです。
しかし多くの宗教は2代目以降、創始者のそのような熱気とか、純粋に人を思い働かれるという精神が薄れて、形式化して、守りの姿勢になります。組織化し、組織としては耐性ができるけれども、仕事に成り下がります。そうすると魅力が低下し、神様が働きにくくなり、守りの姿勢になり、会員さんや人々を思うより、自分たちの生活や保障を考えます。そのようになってはいけません。神様にも人々にも申し訳ないことです。
2代目以降、真の意味において発展し、神様にも人々にも喜ばれるところになるよう、創始者としてあなたはその姿勢と息吹をこそ伝えていくべきです。
守るということは確かに責任と役目ではあるのですが、真の守りは攻めにあります。もちろんここで「攻め」というのは戦うことでなく、多くの人を思うチャレンジ精神のことです。
どんどんどんどんチャレンジしていく。例えばお導きをあきらめない。ご奉仕をどんどんさせていただく。学びと研鑽に努め、励む。徳積みを喜ぶ。そういう前向きな姿勢に神が働かれ、生き生きして、多くの人たちにも良いものをもたらします。そういうところに神様がおられ、働いておられます。
神と共に歩むというかむながらのみちは、そういう生き生きして輝いている道のはずです。そういう道を多くの人は歩みたがります。そういう活気のある魅力、それが神様が生きて働いている証拠です。(中略)
これからも常にやりがいや自分の楽しみ、あるいは目標を持ち続けてください。創始者のあなたの熱気とチャレンジ精神、人を思って動かざるを得ない、その前向きの姿勢、覇気のあるその有り様、そういったものこそ命です。それをこそ継承していってください。その上での他の知識とか、いろんな引き継ぎとかという位置付けになります。形式的な部分の引き継ぎだけでは不十分です。あなたのその中にある熱き思いと理想が、できるだけ多くの内部の方や会員さんに伝授されますように。そうすれば神様は離れず、さらに支援し、力強く導いてくださることでしょう。そういうところに人は感じて、集まって、誘われていくことでしょう。
「ここには神がおられ、生きて働いておられる」。そのように人は感じます。生きて働いて魅力のある活性化したところ。それこそ聖地であり、現代のパワースポットです。それこそ新しく起こされた宗教の醍醐味です。新しい宗教の魅力と可能性は、そこにこそあります。それを存分に発揮していきましょう。
そのようにご指導してください。そうすれば安心して、時期が来たとき旅立てることでしょう。それが、あなたができる最後の仕事であり、保障となります。そこまであなたのお役目があります。これからもお体を大切に、自分をいたわり、できるだけ長く生きて、周りの方たちに良き感化を与えていってください。
(ヨハネ・ペヌエル・リーディング №16093より)
このお言葉に、今の私の想いもすべて表されていると言って過言ではありません。
これから残り少ない時間ではございますが、精一杯、私自身がいただいた想いを、これからの世代の人に伝え続けていきたいと思います。
いま苦しみや悲しみのただ中にいる人たちこそ、この世で大きなお役目をいただいていることに、どうか思いを馳せてください。そして、目の前の出来事を恐れず、迷わず、神仏のみ心のまま、精一杯生きていきましょう。
人生の歓びはチャレンジ、挑むことにあります。決して手をゆるめてはなりません。人々の歓びこそが、あなた自身の歓びです。
信仰とは、多くの人生を共に引き受けることです。
かむながらのみちとは、そのために人が成長できる道です。
大きな心をもって、さらなる向上をめざしていきましょう。
多くの仲間が、共にいます。それこそが人が生きていく上で最高の歓びです。
会を起こして二十年、ここまで参りました。そして、ここからです。
この命を終えた時、「すべてが感謝であり、そして報恩に生きた」と、言い切れる人生を、共に歩んでまいりましょう。