平成最後の年末がいよいよ押し迫ってまいりました。
会員の皆様におかれましては、道祖の「十一月をもって年末とせよ」というお言葉の通り、それぞれにこの一年、どのような在り方、過ごし方、生き方をされたのか、振り返る時間をきちんと持たれていることと思います。
と同時に、この「平成」という時代において、やはりそれぞれが、どのような生き方をしてきたのか、しっかりと振り返ることが大切です。
先の感謝祭における浅野信先生のご講話でもありましたように、時代の流れが大きく変わるということには、やはりそれ相応の意味と目的があります。私たちがこの時に生まれてきたというのは決して偶然ではありません。そこには必ず時代の流れと共に果たすべきお役目、使命というものがあるからこそ、今この時代に、この国に、私たちは命をいただいているのです。
そのことを各自がしっかりと自覚し、次の新しき時代において、道の先頭に立って歩み始めるためにこそ、この時期にしっかりと自己を省(かえりみ)みることが大切なのです。
反省は人間一生にとりまして、人間の生きゆく上での条件であり又義務であります。人間と禽獣の相違点は、彼れは解脱を知るか知らぬかに因って決せられ、その解脱の前提として唯一の道は反省であります。
反省というと、何か自己の欠点や短所ばかりを挙げることと思われがちですが、「省みる」という言葉がいみじくも表わしているように、一度しっかりと立ち止まり、振り返ることです。
人や動物が跳躍するためには、たとえ一瞬でも立ち止まり、身構えて、それから飛ぶように、これから大きく強く飛躍するためにこそ、大きく深くゆっくりと沈み込む必要があるのです。
最近、世の人々が「疲れている」と言う場面をよく耳にします。身近なところでもそうですし、世間一般にも疲れた顔をしていることが、何か当たり前のような風潮になっているようです。
「疲れる」ということにも、どうやら二つの面があるようです。生活そのものが充実していて、一日一日を大切にし、自己の持つエネルギーを最大限に活かし、やり切ったという「疲れた」と、そして何か日々の仕事や生活に追われるだけで、いつしか生きる目的や意味を見失い、希望を持てずに疲労感だけが増していく「疲れた」と・・・
さて、皆様はどちらの「疲れた」を日々、口にされているのでしょうか。
神のあるなしを論ずる前に、自分が生きているか死んでいるかを考えよ。
信仰を持つ者と持たない者との違い、ということを殊更に挙げることは致しませんが、やはり私ども真行者としては、元気である必要というか、義務があると思うのです。
もちろんうわべだけの空(から)元気や、心は疲弊し切っているのに、その自己を偽って何でもない振りをするのとは違い、たとえ日々の仕事や務めに追われ疲れていても、気は充実している。静かな中にも、大きな活力を常に内に秘めている在り方をこそ目指すべきではないでしょうか。
この神仏からいただいた生命の持つ躍動感を、感謝という土台でしっかりと受け止め、身の周りの方々へ常に新たな気を発していくことこそが、真行に生きる私どもの務めであると思うのです。
そうではなく、世の中に風潮に流され、「疲れた」という名刺を顔一面に貼り付け、これで何か自分も一人前であるかのように振る舞うのは、正直恥ずかしいことです。みっともないことです。信仰を持つ者が、そうであってはなりません。また、そのような在り方を目指すべきではありません。
疲れていながらも、真剣に、そして朗らかに、生命の充実感、躍動感を常に周りへと発していくあり方こそ望ましく、またそういったところから新しい時代の流れは創られていくのです。
その飛躍のためにこそ、必要なのが先に申し上げました通り「自己反省」です。
常に深く自己を省みて、自己を正しく認識し、次のあり方を目指す。
特にこの冬という季節は、全てが枯れ果て、一度無になり、立ち止まり、翌年の芽生えのためエネルギーを蓄える、とても大切な時期です。年末の慌ただしさに追われて、自己を見失うことのないように、常にも増して神仏とのつながりを意識して過されていただきたく思います。
私も体の方は自然の流れに沿って、ままならないところが少なからずありますが、家族を始め周りの方々のお蔭様で日々を朗らかに過ごすことがかなっております。
このところ皆様から「いつまでもお元気で」というお言葉をよくかけていただきますが、逆に「何より自分が元気でいる」ことの大切さ、その影響の大きさというものを実感しております。これは決して若い時には分からなかったことですが、「人は生きていることそのものが、既に大きな使命を果している過程である」ことを、身にしみて分からせていただいております。
どうか、新しき年、新しき時代を迎えるための、最後の大切な準備の時間として、この年末を常にも増して大切に、充実して活かしていただきたく思います。大切なのは、朝夕の祈りと、神仏への足運び、ご先祖様への感謝の想いと、次代への継承です。み教えを世の中にお伝えさせていただくということをいつも心に置いて生活されてください。皆様の存在や生き方そのものがお導きです。
真行に生きる者としてふさわしい、そして優しい在り方で、多くの人たちに、この生命の躍動を分かち合ってください。
いよいよ平成最後の年がやってまいります。元旦には身曾岐神社のご神前において、多くの方々と新しき時代の幕開けを共にさせていただきたいと願っております。