令和三年、今年も新春のおとずれを皆様と共に心よりお慶び申し上げたいと思います。
「このような状況ですが」という言葉が、何か決まり文句のようになってしまった昨今、お互い様に例年と異なる新年を迎えていることは事実です。
ただ、このような時だからこそ、お互い様に新しい年を迎えて「おめでたい」という気持ちを、どうか忘れずにしていきたいものです。
大勢で集まって騒ぐだけが「おめでたい」席ではありません。一人で、あるいは家族だけでしめやかに、厳かな気持ちでご自宅の神前仏前に向き合い、「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します」とお言葉をかける。遠くの観光地などへ出かけず、地元の氏神様でしっかりとお参りをして、「この一年、この地域のためにどうぞお使いください」と誓いの言葉を立てる。そういった心持ちを、どうかお一人お一人が大切にされてください。
何という住み良いこの世であろうか。人間の生命は生命そのものが已に大なる恩の賜であり、その日々の生活が恩の法則であることを、しみじみ胸に手をあつれば、人間の生命とは感謝報恩に生きる以外、未だ何ものもあるものでありませぬ。
「福笑い」というお正月の遊びを、今の若い人たちはほとんどご存じないのかも知れません。おかめやひょっとこなどの顔の枠面だけを描いた紙の上に、目や鼻や口といった部品を、目かくししたまま置いて、できあがった「顔」にみんなで笑い合うという、何とも懐かしさのこもる遊びです。
「笑う門(かど)には福来たる」という言葉は、今でも年頭によく耳にしますが、やはり笑いの絶えない家庭や職場には、おのずと福が舞い込んでくるようです。
「家庭は和楽(わらく)の殿堂(でんどう)なり」とは道祖のお言葉ですが、この年頭にあたり、神仏、ご先祖様に向かって「おめでとうございます」と申し上げ、家族全員でほほえみ合う、そのような家庭で満ちあふれる世の中を創ることが、やはり私ども信仰者の持つ大切な使命であると思うのです。
そのような意味で「笑い」も、新年にあたって大切な神仏へのお供え物です。
ちなみに福笑いの「おたふく」は、日本神話のアメノウズメに起源を持つとされています。アメノウズメとは、皆様ご存じのように、天照大神がお籠りになった天岩戸(あまのいわと)の前で踊り、神々の笑いを誘い、岩戸開きのきっかけとなった神様です。
この神話を読む度に、私は世界の終わりという状況下において、一人踊ったアメノウズメの心持ちはどのようなものだったのだろうかと思いを馳せると共に、この国の再生は、いわば神々の笑いから始まったのだということを、このような状況だからこそ、決して忘れてはいけないと思うのです。
仏教の世界では布施の行が重んじられていますが、その中に「無財(むざい)の七施」という徳目があります。文字通り、財が無くてもできる七つの布施行ということで、その七つの中に「和顔(わがん)悦色(えつじき)施(せ)」というものがあります。意味は、誰にでもやさしくほほえみかける、ということです。
笑うとは、決して受け身だけの行為ではありません。もちろん、あからさまな作り笑いは困りますが、どんな時でも笑顔を絶やさず、誰にでもほほえみかけようと誓い、実践されている方のほうが、いつも不機嫌で周りに不愉快な思いをさせている人よりも、はるかに与えている人生を送っていると思うのです。
解脱とは何か。これを手短かに言えば、人間よろしく思いやりに生きよというにある。
もちろん、人生で行き詰まった時、苦しくて辛くて、とても笑ってなどいられない、という時もきっとあると思います。
ですが、もうどうしようもなく、打つ手もなく、見通しも立たず、自己の計らいなど無駄だと、全て手放しきった時、どうでしょう、皆さんの中で、思わず笑いがこみ上げてきたという体験はありませんでしたでしょうか。もう究極まで来て「笑うしかない」と……
この「笑い」は、実はとても大切な笑いです。それまで頑張ってきた自力の果てに、自己の狭い視野から脱し、もっと大きな視野を手に入れた瞬間とでも言えばよいでしょうか。人はそれまでの自己を超えたとき、自然と笑みが浮かびます。誤解をおそれずに言えば、神様と同じ視点に立つことができた、とでも言えるでしょうか。
そうすると、カルマは途端に解消し始めます。何か自分が人生という舞台の演者であると同時に、観客にも監督にもなっているようで、その芝居の進行を内側からも外側からも眺めながら演じているという感覚です。
本年は、私たち人類にとって厳しい年であると共に、これからの未来を決める大切な一年でもあります。そのため私たちは祈りと学びによって研鑽していくことはもちろんですが、その根本として何より大切にしていただきたいのが、日々をほほえみながら過ごすことです。
ご家庭で、職場で、地域で、いつも笑顔をたやさず、与えてやまぬ太陽のような心を目指して今の生活を営んでいこう――これが私たち在家の信仰者が実践する生活行(せいかつぎょう)の根本です。また、このようなところから初めて魂の目覚め、真の覚醒、人としての成長が生まれるのです。
地球全面を家庭となす私の理想の出発点は、実に在家宗教に発足し、世界隈なく家庭を宗教に建て直すことは、特に今日の世界に於いて、寸時も猶予は出来ないのであります。
道祖が生前、常におっしゃられていたこのお言葉を、今こそ実践すべき時です。その根幹に、皆様自身の笑顔があります。
「笑門来福(しょうもんらいふく)」で新年を迎え、そして来月の節分には「一陽来復(いちようらいふくふく)」の祈りをもって、この人類にとって明確な転換点となる年を、一人一人が確信と歓びをもって始めていきましょう。
かむながらのみちとは、神と歩く道です。神と人と共に、思い合い、いたわり合い、そして笑い合いながら進む道です。
この尊き一年の始まりを、皆様と共に心よりお慶び申し上げたいと思います。