四月を迎え、年明けとはまた違った意味で、物事の始まりを予感させる季節となってまいりました。
新たな環境に身を置かれる方も、またそうでない方も、何か心が躍動し高まるのは、春が全ての命に新しい息吹をもたらす力を持っているからでしょう。
まして今年は、今上陛下によるご譲位を間近に控え、新元号も発表となりました。この大きな流れに乗って、自分自身、家族、地域、国も共に生まれ変わり、新たな気に満ちあふれていきたいものです。
そのような気運を醸成するために、最もふさわしい道祖のお言葉として、平成最後に皆様へお伝えさせていただくみ教えは「自己反省」です。
自分の力の足りなかったこと、自分の行ないが全部間違いだらけであったこと、自分程つまらぬ人間はないと、しみじみ懺悔の境界に入る時、始めてそこからその人間としての自分が新しい世界に出発を開始するのであります。
大偉人は常に常に反省を怠りませぬ。反省は解脱の細胞であり、強き反省の行なわれるところから、美事な解脱を背景とする、希望、進歩、円満、幸福等々総て人生を生かす、大事な実相が生まれるのであります。
この「新しい世界に出発」するため、あるいは「希望、進歩、円満、幸福」に至るためにこそ、反省・懺悔が必要不可欠であると説かれている、その道祖のお心を深く受け取っていただきたいのです。
いつもお伝えしておりますように、反省とは決して自己の否定ではありません。
「省(かえり)みる」という言葉に表われておりますように、過去からの一切の歩みを振り返ること。自己を正しく見つめることです。
そのように自己を省みた時、なぜこれまでの行ないが足りない、至らない、間違いだらけであったと言えるかというと、今生だけの狭い自己を見ていないからです。
私どもの会の勤行は、まず神仏へお詫びの言葉を述べることから始まります。
大祖元以来先祖代々凡体に至るまで、不敬不尊不徳一切の天津罪国津罪、何とぞお許し下さい。
最近この道にご縁をいただかれた方の中には、「ずいぶん古めかしいことを言うのだな」と思われたこともあるかも知れません。一方、長年学んでいる方は、いつのまにか形式的に、ただ口だけでお唱えする文言になってしまっているかも知れません。
皆様にはどうかこの機会に、道祖からいただいたこのお詫びの文言が、どれほど尊く、かつ計り知れないほどの功徳があるか、ご理解をいただきたく思うのです。
私たちの命は、決して今生だけのものではありません。何千、何万代とさかのぼることのできる先祖から受け継いだもの、あるいは魂レベルでは、前世で何百回も繰り返し生きた果てに今の自分があります。
その全ての人生でみずから作った身と口と心の行ないの積み重ねが、今の自分です。その自分の命に刻み込まれている行ない、業、カルマを、この一代で切り替えようというのですから、並大抵の決意、努力で為されるものではないのです。
だからこそ「お詫び」なのです。
お詫びとは、みずからの命、全てを神仏にお捧げする行為です。
この計り知れないカルマの積み重ねの果てに生まれた自分であり、到底自分だけの力で清まるものではありません。神仏の尊いお力をいただき、何とぞお清め下さい、お力添え下さいと、一心に捧げ尽す心と行ないに神仏がご感応され、神仏のお力によって祓い清めて下さるのです。
故に、反省、お詫びとは、すなわち道に生きる決意、発心でもあるのです。
祖先以来代々不徳の為めに肉体精心共に遺伝せる処の疾患は、須らく大祖元以来霊魂の御詫を天地宇宙太神の大御前に御詫び申上げて、祖先代々過去一切精算なされ、而して、御加護と御指導とに依りてその犯せる罪を一掃する事にあり、其処にその犯罪を解消して頂き、正しき清き肉体となるに依て、解脱の本筋に入るのであります。
繰り返しになりますが、このお詫び、反省を、自己の否定と取り違えると、信仰の歩みそのものが全て間違ってしまいます。
形だけのお詫びや、心の伴わない反省ほど、自分の命を損なうものはありません。ましてや、その反省やお詫びを他人に強制することなど、決してあってはなりません。そこのところを取り違えた信仰は、これからの新しき時代において、取り残されていくでしょう。
反省とは、新たな世界へと自己を飛躍させるための、大切な一歩です。お詫びとは、その反省した自己を神仏にお捧げし、新たな命の力をいただく行為です。
そのような営みを日々、繰り返していくことによって、これまで何千、何万代と積み重ねてきた自己の命が、歓喜と躍動のもとに生まれ変わっていきます。その感動を、どうか日々の祈りの中でつかみ取っていただきたいのです。
この世において、体はそれぞれ異なっていますが、心の奥の霊魂、みたまは、見えない世界と通じ合い、お互いに感応し合っています。
それぞれが、みずからの命の奥底に眠る力に目覚めると、その力は家族や地域、社会へと広がっていきます。これが、みたまの法則です。
そのような思いを胸に、どうかこの新しき時代の夜明けを迎えていただきたく思います。
今年は会の二十周年として、来月五日にはその記念すべき日を迎えます。その中で、多くの人たちがこれまでの歩みを振り返り、そして新たな世界を創り出す意気を感じていらっしゃることでしょう。
大切なのは、このみ教えを広め、多くの人がお幸せになっていくことです。それがこの世で、私どもに与えられた神仏からの尊いお役目です。
神ながらに生きる、そのための、かむながらのみちです。
自分の命が大きく転換できるチャンスは、他でもない、今です。
この千載一遇の機会を逃さず、一心不乱に祈り、行ない、そして歩み続けましょう。
神仏と共にあれば、決してできないことなど、ありません。
そして、来月の例大祭では、新時代の到来を共に分かち合い、大きな祈りを捧げてまいりましょう。