会長からのメッセージ

誓願から切願へ

9月はお彼岸の季節です。彼岸とは、太陽が真東から昇り、真西に沈む―― その真西にあの世の存在を感じ、この見える現界と、見えない幽界・霊界の交流がなされる時期が彼岸であると、これは日本のみならず世界中で古来より言い習わされてきました。

8月のお盆、9月のお彼岸と、この夏から秋にかけての時期を私は自分の中で「回向月」と命名し、常にも増して御霊との交流を重んじて参りました。また、霊界からも様々なご示唆をいただけるのもこの時節です。

父祖の霊

我等(われら)は父祖(ふそ)の霊(れい)の加護(かご)や導(みちび)きを受(う)ける事(こと)が実(じつ)に多(おお)い。父母(ふぼ)在(おわ)す時(とき)は限(かぎ)りなき慈愛(じあい)を垂(た)れ給(たま)う事(こと)は誰(だれ)しも知(し)っているが、それでも、肉体(にくたい)を有(も)ち幾多生活(いくたせいかつ)の拘束下(こうそくか)にある間(あいだ)は父母(ふぼ)の慈愛(じあい)と雖(いえど)も意(い)にまかせず不徹底(ふてってい)となり勝(が)ちのものである。然(しか)るに一度(いちど)死(し)して霊界(れいかい)に入(い)る時(とき)は生(い)きのすさびも拘束(こうそく)もないからその慈愛(じあい)は純一完全(じゅんいつかんぜん)なものとなる。

我等(われら)は父母(ふぼ)を恋(こ)い慕(した)う時(とき)は其(そ)の霊(れい)の慈愛(じあい)をしみじみと感(かん)ずることが出来(でき)る。父母(ふぼ)のみならず近(ちか)き父祖(ふそ)の霊(れい)に於(おい)ても全(まった)く同様(どうよう)である。父祖(ふそ)の霊(れい)は直系(ちょっけい)の子孫(しそん)に対(たい)し特(とく)に篤(あつ)き加護(かご)を垂(た)れて居(お)られる。

我等(われら)の現実(げんじつ)に於(お)ける悩(なや)みや喜(よろこ)びは同時(どうじ)に父祖(ふそ)の悩(なや)みや喜(よろこ)びであり父祖(ふそ)の悩(なや)みや喜(よろこ)びは又(また)直(ただ)ちに我等(われら)に伝(つた)えられる。

父祖(ふそ)と我(わ)れとは常(つね)に一体(いったい)である。我等(われら)は父祖(ふそ)の霊(れい)の結晶(けっしょう)であると謂(い)い得(う)る。

父祖(ふそ)の霊(れい)も遠(とお)つ御祖(みおや)の神々(かみがみ)は神界(しんかい)に在(おわ)すが近(ちか)きはなお一般霊界(いっぱんれいかい)に留(とどま)って居(お)られるのを常(つね)とする。霊界(れいかい)と現界(げんかい)との交渉(こうしょう)は頻繁(ひんぱん)である。神界(しんかい)と霊界(れいかい)とも亦(また)同様(どうよう)であると信(しん)ずる。霊界(れいかい)父祖(ふそ)の御加護(ごかご)に於(おい)て、力(ちから)足(た)らざる時(とき)は、神界(しんかい)よりの御援助(ごえんじょ)がある。神界(しんかい)はいうまでもなく八百万(やおよろず)の神々(かみがみ)に通(つう)じているから絶対無限(ぜったいむげん)である。

我等(われら)は現界(げんかい)におけるが如(ごと)き霊界(れいかい)の諸々(もろもろ)の営(いとな)みを知(し)ることが出来(でき)る。又(また)霊界(れいかい)の営(いとな)みを通(つう)じて更(さら)に神界(しんかい)の御経綸(ごけいりん)をも拝察(はいさつ)することが出来(でき)る。

父祖(ふそ)の霊(れい)は実(じつ)に我等(われら)を神(かみ)に近(ちか)づける最大(さいだい)の先導者(せんどうしゃ)である。故(ゆえ)に神(かみ)を拝(おが)まんとするものは先(ま)ず父祖(ふそ)の霊(れい)を拝(はい)するを根本(こんぽん)の要義(ようぎ)とする。

神(かみ)を信(しん)じ得(え)ざるものでもせめて身近(みぢか)に在(おわ)せし父祖(ふそ)の霊(れい)だけは認(みと)められるであろう。

父祖(ふそ)の霊(れい)を祀(まつ)り其(そ)の加護(かご)を仰(あお)ぐことは軈(やが)て神(かみ)の信仰(しんこう)に至(いた)る最(もっと)も自然(しぜん)の道順(みちじゅん)である。

さて、『真行』はこの「父祖の霊」と、次の「世界一元」で終わりとなります。

この「父祖の霊」で道祖がお伝えされております趣旨は、常に私からも皆さまに再三再四、強く訴えかけておりますことと変わりなく、人類普遍の真理と言えましょう。

特に「我等の現実に於ける悩みや喜びは同時に父祖の悩みや喜びであり父祖の悩みや喜びは常に又直ちに我等に伝えられる」というお言葉は、「絶対正しきものに悩みはない。悩みのある間は、大祖先以来先祖代々に亘る因縁因果の鎮まらざる霊のあることを知れ」というお言葉と共に、見えない世界と見える世界との交流、真理を表わしています。

自身に悩みのある時、それは必ずや同じ悩みを抱えていらっしゃる父祖の霊がいらっしゃる。

だからこそ、祈りと学びにより己を深め、霊界と繋がることによって、御霊が救われると共に、自分自身も救われていくのだというみ教えです。

さて、7月21日、感謝日会合の後、当会において浅野信先生によるリーディングと講話会が開催されました。テーマは「新生かむながらのみち」。立教25周年を迎え、この11月には新本部道場落慶の記念式典が催される、今この時に、私どもかむながらのみち会員に神仏より与えられた使命、心構えを今一度、あらためてこの胸に刻み込みたいと、このテーマを設けました。

毎回、尊いご示唆を頂戴している機会でございますが、今回特に強く私の中に残ったお言葉が「切願」でした。

新生の「生」は「誓」に通じ、新たなる願い、誓願を立てることが大切。だが、誓願だけでは足りない。切願――神仏が動かざるを得ないほどの強い想い、願いでなされる祈りが、この時期、この会において必要であると私は受け止めさせていただきました。

そこであらためて己自身に問うたのです。これまで「誓願」はしている。しかし、それを「切願」というレベルまで、果たして祈り込んでいるだろうか……残念ながら、現時点では「否」としか言えない己を見出しました。

これは現実世界においても、そうでしょう。他人が切願のレベルで自分に訴えかける。何度も何度も、涙ながらに必死に願いを告げられる。すると、「そこまで言うのだったら」と動かざるを得ないのが人情というもの。神仏も同じです。

今の世界の状況、大自然の流れ――戦争は止まず、猛暑が酷暑となり、人類の行く末に不安と懸念の種は尽きない中で、未来に何を遺していけるのか……その時、私たち自身が、神仏の御前にひれ伏し、「切願」の想いで必死に訴えかける。その祈りなくして、何が信仰でありましょう。

と同時に、私はこのようなことも悟ることができました。「誓願」は人のレベル。しかし「切願」は神仏のレベルであり、そこに介在するのが「法」であると――

三業から三密へ、ということを私は繰り返し皆さまにお伝えしております。特にコロナ禍において「三密」ということがより、信仰者の目指すべき境地であることを強調して参りました。

業とはカルマであり、行ないそのもの。それには善業と悪業があり、いずれも人の行ないにより結果を生み、また新たなカルマを生む。もちろん誤解していただきたくないのですが、善業すなわち善き行ないに意味が無いということではない。悪業を積み重ねて至った結果には、それ相応の善業を積み重ねて、いわば罪滅ぼしを行なっていくしかない。

但し、その善業・悪業といった人のレベルを超え、いわゆる三業から三密、すなわち神仏の行ない――超作に至るには、そこに「法」がなければならない。換言すれば、正しき伝統につらなる法、祈りの心と形を自身の中に深く落とし込むことによって、人は初めてカルマの流れから脱し、その祈りが神仏を動かし、現実をも変革し得ることがかなうのだと……

これも私が常々お伝えしていることですが、世の中の意識の動きには「1・5・20」の法則があります。ある集団の中で、始まりは常に「1」です。しかしそれが周りに波及し、5%の人たちが目覚め出すと、世の中にその動きが現実的な変化を起こし始めます。さらにその動きに賛同する人たちが20%に達すると、集団そのものが生まれ変わる、すなわちトラスフォームを遂げるのです。

これはその集団の大小かかわらず、会社や業界、果ては国、世界といったレベルに通じる不変の法則です。大きな観点で言えば、東西の冷戦が終結したベルリンの壁の崩壊、その動きをつぶさに見ていくと、この「1・5・20」の法則が働いていることがわかります。

その他、人類の歴史を振り返ってみると、世の変革が起きている時は、きまってこの法則通りに流れが起きています。言い換えれば、世の中を変えていくためには、何も80億すべての人類が目覚める必要はないのだということ。私たちがまず「1」となり、そこから5%を目指し、そして世の2割が目覚めた時、世界は確実に変わり始めるのだということです。

新生「かむながらのみち」とは、そのための新生です。そして新たなる道場が私どもに授かったのは、まさにここで「法」を活かし、誓願から切願へと自身の祈りを高め、世の変革の源となるために他なりません。

かむながらのみちとは、そもそも何なのか。それは建物でもない、組織でもなく、そこに集う人――私たち会員一人一人が、すなわち「かむながらのみち」そのものです。そこにいる人が生れ変わり、己を高め、法を身に体し、誓願から切願へと祈りをトランスフォームしなければ、世の中の変革は起きるべくもありません。

どうか、この大切な時節だからこそ、己に与えられた神仏からの尊い使命を、今一度胸に刻み込み、この新たなる誕生の息吹を共に感じ、共に祝い、そして共に幸せな未来を創り出して参りましょう。

11月3日・4日は、そのような意味で、私ども会員1人1人の新たなる誕生の日です。文字通り全国会員が1人残らず参集、何より己自身の新生を遂げていきましょう。

人類和合の祈りを深め、誇りと熱意で未来を拓く――このテーマをかみしめつつ、お互い様にしっかり前を向いて歩んで参りましょう。

-会長からのメッセージ

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