会長からのメッセージ

飛翔かむながらのみち

令和7年新春、この良き年を皆様と共にお迎えできますこと、洵にお目出度く感謝申し上げます。昨年は、かむながらのみち立教25周年、さらに新本部道場落慶という、まさに本会にとって大転換点とも言える記念すべき年となりました。

11月3日・4日の記念式典には、文字通り全国会員がこの新道場に集い、厳粛なる祭事を執行させていただきました。さらに3日の夜は、ローズホテル横浜において盛大に祝賀会を行ない、楽しい一時を過ごすことができました。この式典ならびに祝賀会には、全国より私どもとご縁の深いご来賓の先生方に多数おいでいただきましたこと、この場を借りて厚く御礼を申し上げる次第です。

さて、毎年お伝えしております干支暦(かんしれき)で本年を見ますと、令和7年は「乙巳(キノトのミ)」。乙は陰の木性。昨年の甲は天に向かって伸びる大木を表わしていましたが、乙は野に咲き広がる草花です。そして巳は陰の火性(かせい)。季節は春から夏に移り、草花が勢いを増していく――
自然界は五行の相性(あいしょう)によって変化します。「相生(そうしょう)」とは、一方が一方を活かす関係。「相克(そうこく)」とは、一方が一方を剋(こく)し、時にぶつかり奪ってしまう関係。そして「比和(ひわ)」とは似た者同士、同化する関係です。

昨年の干支・甲辰(きのえのたつ)は、甲(木性)が辰(土性)を剋す相克の関係。つまり、木が育っていくと、土はどんどん弱わっていく。そして辰は「振」「震」、いずれも「揺れ動く」の意味が含まれます。自然界に当てはめると「揺れ動く大地に立つ大木」。故に、令和6年・甲辰の年は「大地が大きく揺れ、その中で生き残るものと、そうでないものがはっきりする」と、昨年元旦祭にて皆様にお伝えしました。

まさにその元旦の日に、能登半島地震で大地は揺れました。日本の政界も大きく揺れ動き、首相交代と自民党の過半数割れ。アメリカ大統領選挙ではトランプ前大統領が返り咲きを決め、さらに韓国の政局の混乱、イスラエル・パレスチナの戦禍、未だ続くロシアウクライナの戦禍……日本も世界も大きく揺れ動き、私たち一人ひとりの人生にも、その揺れ動きの結果が現われたのが昨年、令和六年という年でした。

では、今年、令和7年には、どのような示唆があるのか?

乙(木性)は巳(火性)を生じる、相生の関係となります。「木が火を燃やし天高く舞い上がる」建設的な相性です。しかも一度火がつくと、どんどん燃え広がります。

田んぼなどの野焼きは、古い草を焼き払い、病害虫の発生を防ぎ、新たな芽吹きの為に土壌を整えます。同じように世の中、そして私たちの日常も過去の体制、習慣、やり方などの囚(とら)われから脱却し、新たなものを創造していく年です。巳は蛇です。脱皮し成長していきます。但し、その炎がどこに向かって、何のために広がるかは課題です。

乙巳に関して、少し専門的ですが解釈を加えます。

十二支は「蔵干(ぞうかん)」と言って、それぞれが異なった十干の性質を内蔵しています。潜在的なパワーです。そして巳には、戊(土性)・庚(金性)・丙(火性)が内蔵されています。

全てを並べると、乙(木性)・巳(火性)・戊(土性)・庚(金性)・丙(火性)となり、五行の中で水性だけがありません。火を消す水が無い状況です。すなわち「ちょっとしたはずみで火がつき、ごうごうと燃え広がりやすい年」――良きにつけ悪しきにつけ、今年起きることは、強い炎となって広がっていくと示唆されています。

さて、その観点で歴史を振り返り、この乙巳の年を見ますと、我が国では645年、「乙(いっ)巳(し)の変」が起きています。昔の教科書には「大化の改新」とありましたが、それはこの「乙巳の変」――中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、時の権力を握っていた蘇我入鹿(そがのいるか)を宮中で暗殺した事件に端を発し、豪族割拠による旧体制を一新、日本の国が天皇中心の集権国家へと生れ変わった政治改革を意味します。まさに、一つの改革の火が、大火へと「大(おお)化(ば)け」し、古い体制が焼け野原となり、今の日本へと続く新しい国造りの土壌が生まれたと言えるでしょう。

さらに、壇ノ浦の戦い(1185年)、日露戦争の終結(1905年)も、この乙巳の年です。それぞれ、源氏と平家による戦いの決着と武士政権の誕生、西洋列強に対する勝利と近代日本の確立を意味する、とても重要な年です。
世界に目を転ずると、アメリカの北ベトナムへの介入がなされたのも、この乙巳の年(1965年)です。そこから約十年間続いたベトナム戦争は、まさに泥沼化し、世界中に反戦運動の輪が広がることとなりました。

ちなみに、この年の日本では高度経済成長が始まり、世にいう「いざなぎ景気」に突入、日本の国民所得(GNP)が西ドイツを抜いて世界二位となりました。もともと巳、蛇は弁財天の使いであり、巳年はお金の流れが活発になると言われています。巳は「実」に通じ、実入りがよくなることから、昨年の新紙幣の発行もあり、今年は経済に関して活発な動きが見られることも予想されます。

まとめると、この乙巳の年には、いずれも歴史を大きく塗り替える出来事が起きています。故に、今年の生き方の要は

「古い常識や枠組み、ルールにしがみつかず、変化に柔軟に対応する」

良い悪い、どちらに向かってこの火が広がるかは分からないので、

「真の平和に繋がる炎が広がり続けることを切願し祈る」

そのような示唆を受け、私ども「かむながらのみち」の今年のテーマを掲げます

『飛翔かむながらのみち 神仏和合の祈りを極め 切なる願いで修験実証』

昨年の「新生かむながらのみち」というテーマの通り、あらゆるものが新生、生まれ変わり、そして新誓、新たな誓いを神仏に立て、これまでの継承、そしてこれからの継承を視野に入れた様々な活動が始まって参りました。

そして今年は「飛翔」です。行動です。思っているだけでは、何の意味もありません。口にしているだけでは、何の実りもありません。常に実践、結果を導くために、一歩一歩確実に歩みを進めていき、大きく羽ばたく、「飛翔」へと自他を導いていくのが今年のテーマです。

そのためには、神仏和合の祈りを「極める」――昨年の立教二十五周年・新道場落慶記念式典においでくださったご来賓の先生方が、口をそろえてこうおっしゃっていました。「かむながらのみちの祈りは日本随一である」と。

もちろん晴れの場におけるお褒めのお言葉として受け取めるべきではありますが、会員の皆様には自分たちの祈りに是非、誇りを持っていただきたいのです。一糸乱れぬ姿と声で朗々と唱える祝詞とお経、何より神仏に向き合う私たちの真摯な姿勢が、神道界・仏教界における一流の先生方からお褒めのお言葉を頂戴できるほどの力があるのだということ。

さらに、私はその式典の翌週、この度ご来賓としてご出席賜りました熊野本宮大社宮司・九鬼家隆先生の「神職身分特級昇進を祝う会」に出席して参りました。ちなみにこの神職身分特級というのは、神職の中では最高位となり、全国でも数少ない名誉ある位階とのことです。そのお祝いが和歌山県白浜のホテルで盛大に行なわれ、そこには全国の名だたる宮司様や、仏教界からも熊野に関わる寺院・宗派の代表の方がご出席されていたのですが、その先生方のご挨拶の中で常に強調されていたのが「神仏和合の祈り」ということでした。

もちろん「神仏和合」という言葉そのものは使われておりませんが、日本の国が乱れた根本の原因は神仏分離にある。今こそ、この神と仏を一つにした祈り、日本人が古くから大切にしてきた和の祈りと行動が、この世界を救う要になると、どのご来賓の先生方も例外なくおっしゃられていました。それはまるで、私ども「かむながらのみち」の神仏和合の祈りこそが世界を救うと、何か見えない力に後押しをされているかのような体験でした。

だからこそ、その祈りを今年は「極める」のです。そのためには、誓願から「切願」です。切なる祈り――神仏が動かざるを得ないくらい力強く、そして何より正しき法に則った祈りを、本年は全国会員が一丸となって行なっていただきたい。

そのために、私は昨年末に一つのご提案を全国会場主の方にさせていただきました。「今年の会合のうち、一回は是非、横浜本部において行なっていただきたい。そこには多くのゲストの方もお連れいただきたい。何も理屈は言わない。この新道場に座っていただくだけで、誰にでも神仏の尊いお働きが実感、体感され、その方の魂に響くはずだから――」

このようなご提案をさせていただいたところ、全会場主の皆さんからご賛同いただき、特別合同会合として各会場のスケジュールが出そろっておりますことは、既に皆様ご周知のことと思います。

私は先の式典におけるご挨拶で、このようにお伝えしました。「ビジョンとは、不可能との約束である」と。周りを見渡せば、一見不可能と思えることばかりです。地球環境問題、世界中で勃発する争い、人心の荒廃、政治・経済の混乱……

そこで私は、本年のテーマの最後に「修験実証」という言葉を使わせていただきました。修験とは、入門編等で既に学ばれていることと思いますが、日本本来の祈りの心と形であり、神道、仏教、道教など、あらゆる法を駆使して民衆救済に勤(いそ)しんだ先人たちが培ってきた信仰の流れです。まさに「神仏和合の祈り」です。

修験の「験」とは、宗教的なパワー、「験力(げんりき)」とも言いますが、必死に修行をおさめる中で得られた力で、現実問題を確実に救っていくのが修験道です。そのために修験道の開祖・神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)(役行者(えんのぎょうじゃ))をはじめ、空海(くうかい)、最澄(さいちょう)、聖宝(しょうぼう)(醍醐寺開祖)、親鸞(しんらん)、日蓮(にちれん)といった、歴史に名を残した宗教者は例外なく霊山に入り、みずからの行をおさめていったのです。

その流れを道祖・解脱金剛尊者は醍醐寺三宝院にて承け、それを継いでいったのみならず、行者として山に入らずとも「畳の上の十界修行」――この生活そのものが修行であり、それは山の修行に勝るとも劣らない信仰の根本であると、私どものみ教えにつながる「在家宗教」の礎(いしずえ)を固められたのです。

その修験の流れのもとに「実証」、すなわち日々の生活の中で、ご家庭で、職場で、地域で、在家の人間として、迷うことなく、厭(いと)うことなく、歓びと確信をもって、それぞれの生活課題に真っ正面から向き合い、「結果」を出していくのです。その中から、真の「お導き」も生まれていくのです。

すべて自身の生活からです。朗らかに生きましょう。笑顔で日々を過ごしましょう。周りの人たちの希望の光となりましょう。皆様には、そのお役目があるからこそ、他でもない、今の家族、今の仕事、今の状況が与えられたのです。

繰り返します。どうか、誇りと確信、そして切なる願いを胸に、日々の生活から、この世界の平和を創り出して参りましょう。

今年は行動の年です。私たちの胸に灯った熱い信仰の炎が、燎原(りょうげん)の火のごとく世界中へと広がることを祈念して、本年頭のご挨拶とさせていただきます。

合掌禮拝

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