今月は道祖解脱金剛尊者のみ教えの中から「家庭伝道」について、皆様と共に学んでまいりたいと存じます。
近年ますます「家族」という形態が多様化する中で、この「家庭伝道」というお言葉一つ取ってみても、若い方たちには今一つ意味が伝わり切らないところがあるのではないかと感じております。
一方、長年このみ教えを学んでいらっしゃる方にとっては、この「家庭伝道」というお言葉を聞かれると、まるで条件反射のように「家族へのお導き」「子どもたちへ信心相続をしなければ」「いかに手を合わせない夫(妻)に手を合わせてもらうか――」などといった想いを抱きがちではないでしょうか。
もちろんそれは決して間違いではないのですが、この機会に是非とも、み教えを長く学ばれた方も、最近ご縁に導かれた方も共にこの「家庭伝道」というお言葉の真意について、胸に深く刻みこんでいただきたく存じます。
世界は――一国は――社会は――一家は、誰が造ったか。一家こそ真の小社会であります。一家は即ち夫婦から成って居ります。一家の集りが社会であり、延いては大国家であります。
今日の社会は夫婦の正しい認識を欠いた処に生まれた人達の集りであります。之を最初に造り上げた者は全く夫婦の二人からである事に気がつかれて、家庭の――社会の建直しをして欲しいとお願いするのでありまして、全くその意味に違いないのであります。社会の悪化のみを観ている人達は全く見当外れを見て居るのでありまして、先ず自分の足下をよく観て欲しいのであります。全く夫婦であり乍ら皆偽瞞して居るのであります。
家族の形態が様々に変わりつつある中、「一家は即ち夫婦から成って居ります」という言葉が文字通りに当てはまらない状況は多々ありますが、この「夫婦」という言葉を、自分にとっての身近なパートナーと置き換えて下さっても構いません。もちろん、ご結婚なさっている方は、そのまままお互いの関係についてあらためて見直していただきたく思うのです。まず自分の足下をよく観て欲しいのです。そこに「欺瞞」はないか、しっかりと省(かえり)みてほしいのです。
道祖は特に家庭における女性の役割について、多くの教えを残されております。そのお言葉には当然時代の流れから発せられた部分もありますが、今でも決して色あせない響きが感じ取れます。
何処の家庭を見ても、よく主人への不平不満を子供に訴えて子供に教えていることなどは大間違いであります。
家庭に於いて一番大切な役目の持主は御婦人であるのであります。一家経済の小問題のみならず皆さんの気持が一日たりとも間違えばその時に宿った子供、胎内に宿っている子供、生まれてから一切御育てになる皆さんの気持ちの凡てを覚えられるのだから恐ろしいのであります。何より恐ろしいのは女性の心得違いでありります。
こういったお言葉を耳にすると、すぐに「古くさい」「男尊女卑」「戦争の時は女性が抑圧されていたから」などと受け止める方が多いようですが、それは完全に道祖の真意を見抜けていない浅薄な捉え方です。
道祖が生きておられた時代。それは封建時代の道徳が大正デモクラシーなどもあり影をひそめ、かといって封建的な「家」制度は形として旧態依然として存在としていた時代です。
その中で最も「生き方」の確信が持てなかったのが、実は女性たちでした。言葉や思想では「自由」がうたわれながら、自身は決して「自由」などとはほど遠い境遇にある。その矛盾に最もさらされていた「御婦人」たちに向けて、道祖は改めて女性の役割、尊さ、強く生きることを説かれたのです。だからこそ、今でも道祖のお言葉は聞く者の胸を打つのです。
女は小さくいえば、一家の基礎台、大きくいえば国家の基礎台だよ。もし主 人の知恵が足りなければ、自分が知恵を貸して、主人を世に送り出せ。
道祖はこのようなお言葉を世の女性に向けて発し、女性が家庭にいる意義、女性が持つ「家庭伝道」の尊き役割を担って生きよというメッセージを伝え続けられました。それを受けて、今でいう鬱(うつ)的な病から立ち直られた方がたくさんおられたとのことです。
ところで、この「家庭伝道」というお言葉ですが、最初に掲げた道祖のお言葉の前に次のような章句がございます。
精神的肉体的伝統、家庭の伝道と社会の伝導とは、皆文字の如くである事に知覚せられて、一切を御考え願いたきものであります。
この「伝統」「伝道」「伝導」という言葉。「皆文字の如くである」と道祖みずからおっしゃられておりますように、そこには深い意味合いが込められています。
伝統の「統」とは、いわゆる流れ、過去から連綿と自己自身へと受け継がれているもの。私どもの言葉で言えば「カルマ」そのものです。
大祖元以来、今の自身に至るまで流れているカルマ、因縁のままに精神も肉体も生きていては、決して幸せになどなれません。そのために、今気付いた自身から生き方を変えていくのです。それが「家庭伝道」です。
道とは教えです。いま自身が生活をしている家庭という場に、新たなみ教えの道を作るのです。
そうやって初めて「社会の伝導」、すなわち教えに基づき「伝え導く」ということが叶うのです。真に社会に貢献していく生き方。いわゆる役に立つ。感謝される生き方ができるのです。
では、どうしたら家庭という場に「道」を創り出すことができるのでしょうか。そのことを、どうかお一人お一人が、胸に手を当て、しっかりと考えていただきたいのです。
そもそも家族とは、最も近しい人であり、最も遠い存在とも言えます。
同じ「精神的肉体的伝統」に生きている分、その良きところも悪しきところも手に取るように分かるのが家族という存在。それでいて、大切なことを伝えたいけれど伝わらない。つい感情的になってしまい、最後はお互い話もできなくなる。そういったご家庭は、世に多いのではないでしょうか。
だからこそ、家庭には「伝導」ではなく「伝道」なのです。家庭でこそ、道なのです。教えなのです。この家族のすべては自身の合わせ鏡と見て、すべてを自己自身を変える糧としていくのです。
そうではなく、「分かっていない家族に伝えてやろう、導いてやろう」などと考えるから、全てが間違うのです。
伝道とは、道に生きることです。家族のあり方から、他ならぬ自分自身が「学ばせていただく」のです。そのようなあり方があって、初めて社会への「伝導」も為されていくのです。
私自身、決して世にいう幸せな家庭で育たなかったことは、私の著書等で再三述べている通りです。ですが、その家族が幸せになれる道へと向かうことができたのは、父も母も同じみ教えを学び、新たな「家庭伝道」が生まれたことからでした。
特に父とは、確かに親子という関係ではありましたが、晩年はむしろ共にみ教えの道を歩む同志であり仲間でした。そのことが逆に、み教えを学ぶ前では決して得られなかった親子の絆を取り戻し、そして今、私自身、親子孫、ひ孫に至るまで共に、このみ教えを歩む者として生活できている「幸せ」を手にすることができたのです。
もちろん、このようなことをお伝えしたからといって、急に家族との関係が一変するとか、自身の性格が良くなるとか、ましてや逆に「もう取り返しがつかない」などと絶望することはありません。
相手にしているのは、大祖元以来、深く心の奥底まで根付いている「伝統」なのです。一朝一夕に解消し切れるものではありません。けれどもまた、気付いた今から、新たな「道」を踏まない限り、いつまでたっても同じことの繰り返しなのです。
だからこそ、今なのです。今、この瞬間にも、悟れば、変わるのです。
そして自己の変化、成長こそが、初めて家族を動かすのです。
そうすれば、他ならぬ私が世の中を「伝え導いて」いけるのです。
この道に生きることに、歓びを持ちましょう。これ以上の人生の宝物はありません。み教えに出会い、自身や家族が変われると実感した、その時の感動、感謝を胸に、これからも生きてまいりましょう。
平成という時代が、もうすぐ終わります。
それは大きな時代の転換期として、様々なものに「終わり」と「始まり」をもたらすエネルギーに満ちあふれています。
その大きな波に乗って、新時代の人生を、お互い様にすばらしいものにしてまいりましょう。